この記事では2012年に環境省が発表した「九州のツキノワグマの絶滅宣言」について、その歴史的背景から現代に至るまでの詳細な経緯を解き明かしていきます。
かつて九州の山々に多く生息していたツキノワグマはなぜ姿を消してしまったのでしょうか。1941年を最後に確認されなくなった九州のクマたちの運命には、人工林の増加や森林環境の変化、狩猟による乱獲など複数の要因が絡み合っていました。
九州帝国大学教授の記録などを元に、クマたちが直面した生存の危機とその背景にある環境の変化を丁寧に解説します。さらに、現在の森林生態系への影響や人間との共生における課題についても詳しく触れていきます。
クマの絶滅宣言
2012年、環境省は九州のツキノワグマについて絶滅宣言を出したんです。九州の山々からクマたちが姿を消してしまったことが、ここで公式に認められることになりました。
でも、みなさんは不思議に思いませんか?なぜ九州からクマたちはいなくなってしまったのでしょう。その謎を解き明かすために、少し時間をさかのぼって九州でのクマたちの歴史を見ていきましょう!
九州のクマの歴史
昔の九州にはたくさんのクマたちが暮らしていたんですよ。これは様々な記録から分かっています。1932年に発行された動物学雑誌では面白いことが書かれているんです。
当時の九州帝国大学教授である大島廣先生が「九州にクマはもういないよ」というのが学会での定説だと記していたのですが、祖母・傾山山系ではまだほんの少しだけクマたちが暮らしているという情報もキャッチしていたそうです。
さらに興味深いのは、登山家の加藤数功さんが作成した「祖母・大崩山系における熊の捕獲表」(1958年)なんです。
この記録によると、明治から昭和初期にかけてなんと50頭ものクマさんが捕獲されていたことが分かります。つまり、昭和の始めごろまでは九州の山々でクマたちが元気に暮らしていた証拠があるんですね。
参考:https://wmo.co.jp/field_note/no-115
最後の記録
九州でクマさんが確認された最後の記録は1941年だと言われています。でもその後も、「クマを見た!」という目撃情報や足跡などの痕跡が見つかったという報告は時々あったんです。
特に印象的なのが1987年の大分県豊後大野市での出来事です。この時、1頭のクマが発見され、猟師さんによって捕獲されてしまいました。この出来事は当時とても大きな話題になったんです。なぜかというと、もう九州にはクマはいないと思われていた時期だったからです。
この最後のクマについてはとても興味深い展開がありました。最初は「もしかしたら九州生まれのクマかも?」という期待があったのですが、2010年になってDNA解析という最新技術で調べてみると、実は「本州から来た」クマさんだったことが分かったんです。これには多くの研究者たちもびっくり!という感じだったでしょうね。
参考:https://www.fnn.jp/articles/-/608074?display=full
絶滅の理由
九州のクマが絶滅してしまった理由についてはいくつかの要因が絡み合って今の状況になってしまったんです。
森林環境の変化
九州の森林環境の変化がクマたちの生活に大きな影響を与えてしまったようです。宮崎県総合博物館の竹下隼人主査が、とても分かりやすく説明してくれているんですよ。
「九州の山というのは人工林が非常に多い。人工林というのは、クマが冬眠をする際のエネルギー源になる『どんぐり』、こういったものが実らない。冬眠をする場合のエネルギー源がないということで、クマが生きていけないのではないか」
参考:https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/807515?page=2
九州の人工林の割合は全国平均をかなり上回っているんです。全国平均が41%なのに対して、九州の各県ではなんと沖縄と長崎県以外が60%を超えています。
県名 | 人工林率 | 主な特徴 |
---|---|---|
佐賀県 | 67% | 九州で最も高い人工林率 |
福岡県 | 63% | 九州で2番目に高い割合 |
熊本県 | 61% | スギ(35%)、ヒノキ(23%)が主体 |
大分県 | 61% | 豊富な森林資源を保有 |
宮崎県 | 60% | 人工林面積355千ha、スギが72%を占める |
長崎県 | 43% | 比較的低い人工林率 |
参考:https://www.rinya.maff.go.jp/j/keikaku/genkyou/h29/1.html
人工林が増えると、クマたちにとって大切な広葉樹林が減ってしまうんです。広葉樹林はドングリなどの食べ物を提供してくれるだけでなく、冬眠の場所としても利用されているんですよ。
生息地の分断
九州の山々の特徴も、クマさんたちの生活を難しくした原因の一つなんです。山々がバラバラに分かれているため、広い面積を必要とするクマさんたちが暮らしにくい環境になってしまったようです。
クマって、とっても広い範囲を動き回る動物なんです。山々が分断されていると、自由に移動できなくなってしまいますし、十分な生活圏を確保するのも難しくなってしまいます。さらに、クマ同士の出会いも減ってしまって、遺伝子の多様性を保つのも大変になってしまうんですよ。
狩猟と乱獲
昔を振り返ってみると、クマは狩猟の対象とされていたんです。江戸時代には熊胆が取引されていたという記録も残っているくらいなんですよ。
農閑期の狩猟は楽しみとしての側面が強かったようで、獲物を絶やさないという考え方があまり育たなかったみたいです。そのため、クマの数がだんだん減っていってしまったんですね。
開発と森林伐採
宮崎大学の動物生態学者である岩本俊孝名誉教授は、こんなふうに話してくれています。「はっきりとした絶滅理由は不明です。多分、継続的な森林改変、伐採や狩猟のためだと思われます」
都市開発や林業のための森林伐採でクマたちの住処がどんどん小さくなり、分断化が進んでしまったんです。特に戦後の拡大造林政策で広葉樹林が針葉樹の人工林に変わっていってしまい、クマさんたちの生活環境が大きく変化してしまいました。
他の地域との比較
実は九州だけじゃないんです。四国や紀伊半島でもクマさんたちが絶滅したり、絶滅に近い状態になっているんですよ。こういった地域には共通点があって、温暖な気候に恵まれていて、日本有数の林業地帯だということなんです。
四国ではクマの数がわずか20頭程度しかいないと言われていて、本当に危機的な状況なんです。四国も九州と同じように人工林の割合が高くて、高知県65%、愛媛県61%、徳島県60%というぐらいなんですよ。
一方で、クマたちがたくさん暮らしている北海道では人工林の割合が27%とかなり低いんです。このことからも、人工林の割合とクマの数には深い関係があることが分かりますね。
クマの生態と九州の環境
クマ、とくに日本に生息するツキノワグマの生態について見ていくと、九州の環境がクマの生存にとって厳しいものになっていった理由が見えてきます。
食性と生息環境
ツキノワグマは何でも食べる雑食性の動物なんです。季節ごとに食べ物を変えていく賢い習性を持っています。春になると山菜や新芽を食べ、夏場は昆虫や小動物を探して食べます。
秋には木の実(特にドングリ)を主食にするんですよ。冬眠前の秋にはたくさんのドングリを食べて、冬を乗り切るための脂肪を蓄えるのです。
ですが、九州では人工林化が進んでしまい、クマにとって大切な食料源となるドングリを実らせる広葉樹林がどんどん減っていきました。そのせいでクマたちが十分な栄養を確保することが難しくなっていったと考えられています。
行動範囲
ツキノワグマは広い行動範囲を必要とする動物なんです。特にオスの行動圏は数十平方キロメートルにも及ぶことがあるんですよ。とは言っても、九州の山々は分断されているため、クマの移動が制限され、十分な生息地を確保することが困難になってしまいました。
さらに、生息地が分断されることで個体群同士の出会いや交流が妨げられ、遺伝的な多様性を保つことが難しくなります。これは長い目で見ると個体群の健康状態と存続に大きな影響を及ぼすことになるんです。
冬眠
ツキノワグマには冬眠する習性があるのですが、冬眠にはしっかりとした場所と十分な栄養が必要になります。九州の人工林化により、クマが冬眠に適した環境を見つけることが困難になった可能性が高いんです。
九州の森林政策とクマの絶滅
九州の森林政策が思いがけずクマの生息環境を悪化させてしまった可能性があるんです。戦後の日本では、木材需要が増加したことへの対応や山村の経済振興を目的として、拡大造林政策が積極的に進められました。
この政策によってたくさんの広葉樹林がスギやヒノキなどの針葉樹の人工林に置き換えられていったのです。人工林は木材を生産するには最適なのですが生物多様性という観点からは課題が残ります。特にクマのような大型の哺乳類にとっては、生活しづらい環境になってしまったんです。
九州の各県で人工林の割合が高くなっているのはこの政策の影響が色濃く表れているからなんです。一例を挙げると、宮崎県は「杉の国」として知られていて人工林率がかなり高くなっています。
林業を盛り上げるという面では成功したのかもしれませんが、クマをはじめとする野生動物の暮らしという点では大きな変化をもたらすことになったのです。
クマと人間の対立
クマが絶滅してしまった背景には人間との軋轢も影響していた可能性が高いんです。クマは時として人里に現れ、農作物を荒らしたり、稀に人身事故を引き起こしたりすることがあります。
九州でもかつてはこういった問題が発生していたと考えられています。人々はクマを危険な存在として見なし、積極的に駆除を行っていた可能性があるんです。それだけでなく、クマの胆嚢が漢方薬として珍重されていたことも、狩猟の圧力を高める要因になってしまったかもしれません。
そうは言っても、現在の本州では人とクマが共に暮らしていけるような取り組みが行われているんです。具体的には、クマが出没する可能性がある地域では電気柵を設置したり、クマを引き寄せてしまう生ゴミの管理をしっかり行ったりと、様々な対策がとられています。
九州でクマが絶滅してしまった時代にはこういった共存のための知識や技術が十分に発達していなかったことも、クマの減少を防ぐことができなかった要因の一つだったのかもしれませんね。
九州の生態系への影響
九州の生態系全体にクマの絶滅が深刻な影響を及ぼしているかもしれません。皆さんご存知の通り、クマは生態系の中でとても大切な役割を担っているんです。
一例を挙げると、クマは森の「種まき屋さん」として活躍しています。クマが美味しそうに食べた木の実の種子は、糞と一緒にあちこちへ運ばれて新しい場所で芽を出す可能性があるんですよ。
それだけでなく、クマは生態系のヒエラルキーの頂点に立つ存在として欠かせない存在なんです。クマがいなくなってしまうと、ほかの動物たちの数のバランスが崩れてしまう可能性が出てきます。これは森の生態系にとってかなり気がかりな問題と言えるでしょう。
加えて、クマの存在は森林の健康状態を教えてくれる、いわば「自然のバロメーター」としての役割も果たしています。
クマが元気に暮らせる環境というのはたくさんの生き物たちが共存できる豊かな生態系があることを示しているんです。ですから、クマが姿を消してしまったということは九州の森林生態系全体が弱っているというサインかもしれません。
まとめ
九州のツキノワグマは2012年に環境省によって絶滅が正式に宣言されました。1941年を最後に確認されなくなった九州のクマたちは、複数の要因が重なって姿を消していきました。
主な絶滅要因として戦後の拡大造林政策による人工林の増加が挙げられます。九州の人工林率は60%を超え、クマたちの重要な食料源であるドングリを実らせる広葉樹林が激減。生息地の分断化や狩猟による乱獲も、絶滅を加速させる要因となりました。
クマの絶滅は種子の分散や生態系の均衡維持といった重要な役割が失われたことを意味します。この教訓を活かし、現代では野生動物との共生に向けた取り組みが進められています。九州の事例は自然環境の保全と人間活動のバランスの重要性を私たちに問いかけています。
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