この記事では生きているだけで偉いのか、そして人生の本当の意味について深く考察していきます。
「生きてるだけじゃダメなの?」「何か特別なことをしなければ価値がないの?」そんな悩みを抱えている方も多いのではないでしょうか。
生命には確かに神秘的な価値がありますが同時に避けられない苦しみも伴います。その中で意味を見出し、自分らしく生きていくことこそが、最も称賛に値する生き方なのかもしれません。
実存主義の考え方から現代の心理学研究まで、様々な視点から「生きることの価値」について解説します。フランクルやサルトルといった偉大な思想家たちの言葉を紐解きながら、あなたの人生に新しい意味を見出すヒントを提供します。
存在することの価値
生命の神秘性
生命そのものには言葉では言い表せないような神秘性や尊さが宿っているという考え方があります。宇宙の長い歴史の中で、生命が誕生するというのは本当に稀有な出来事なんです。
私たち一人一人の存在は奇跡のような偶然が重なって生まれたものと言えるでしょう。この観点からすると、生きているということ自体に素晴らしい価値があり、称賛されるべきものだと考えられます。
とはいえ、ショーペンハウアーのような哲学者は異なる見解を示しています。単なる存在には価値がないという主張です。もし存在自体に価値があるなら、退屈というものは存在しないはずだと論じたんです。
何もせずにただ存在しているだけで満足感が得られるはずなのに、人間は退屈を感じてしまう。そこから、存在自体には価値がないという結論を導き出したわけです。
生命の苦しみ
生きることには避けられない苦しみが伴うという側面も見逃せません。仏教の教えでは生きることそのものが苦であると説いています。
病気になったり、年を重ねたり、最期には死と向き合ったり…。そう考えると、ただ生きているだけでは称賛に値せず、むしろ日々の苦しみに向き合い、乗り越えていく姿勢こそが称賛に値するのかもしれませんね。
ニーチェは素敵な言葉を残しているんです。「生きることは苦しむことであり、生き延びることは苦しみの中に意味を見出すことである」と。
つまり、ただ生きているだけじゃなくてその苦しみの中にどんな意味を見つけ出せるかが大切だということなんです。
人生の意味と目的
個人の存在や生き方に焦点を当てる見方
実存主義の哲学者たちは人生には最初から決まった意味なんてないと考えました。だからこそ、私たち一人一人が自分で意味を作り出していく必要があるんです。
サルトルが残した「実存は本質に先立つ」という言葉、皆さんご存知かもしれません。これは、人間は最初から決まった目的を持って生まれてくるわけじゃなくて、生きていく中で自分なりの意味や目的を見つけていくものだという考え方なんです。
この視点に立つとただ生きているだけじゃなく、自分の人生にどんな意味を見出して、どう責任を持って生きていくかが大切になってきます。
ハイデガーは「本来的に生きる」ことの大切さを説いたんですよ。世間の期待や慣習に流されるんじゃなくて、自分らしい可能性を追求して、しっかりと自覚を持って生きることが大事だということです。
成果重視の観点
人生には最初から決められた目的や意味があるという考え方も根強く残っています。多くの宗教では、神様から与えられた使命や目的を果たすことが人生の意味だとされているんです。
キリスト教の考え方では、神様によって創造された人間の存在自体に価値があり、称賛されるべきものだという見方があります。聖書には「あなたがたは、主なる神に栄光と誉れと力とを帰すべきです。神はすべてのものを創造し、御心によってそれらは存在し、創造されたのですから」という言葉が記されているんですよ。
ですが、この考え方に対して疑問を投げかける声もあります。神が人間を創造したからと言って、なぜそれが称賛に値するのか?苦しみに満ちた世界を作り出したことに対して、批判的な意見を持つ人もいるんです。
生きることの価値
生命の尊厳
人間の命には素晴らしい価値が宿っているんです。一人一人の能力や実績に関係なく、生きているということそのものに大切な意味があるという考え方が、生命倫理の世界では根付いています。
フィリッパ・フットさんは生命には「最低限の基本となる善」があると説いています。自分で考えて行動する力、周りの人との絆、道徳的な支え、そして正義感。こういった基本となる善が存在する限り、障害があったり苦しみを抱えていたりしても、命には価値があるというわけですね。
この考えに沿って考えるとただ生きているだけでも、私たちは十分すばらしいことをしているのかもしれません。でも、フットさんも指摘しているように、こうした基本的な善がすっかり失われてしまった場合はその命の価値について考え直す必要が出てくるのです。
自己価値の重要性
心理学の世界では自己価値(self-worth)という考え方がとても大切にされています。これは自分という存在に対して「私には価値があるんだ」と感じる気持ちのことなんです。
周りの人と比べたり、何かを達成したりすることとは関係なく、ただそこにいるだけで十分な価値があるという感覚です。
自己価値を感じられることは心が健康であることの証とも言えます。この感覚があれば自分を受け入れながらも、さらに成長していこうという前向きな気持ちが生まれるんですよ。
とはいえ、自己価値を感じることと実際に「称賛される価値がある」ということは、必ずしも同じではありません。むしろ、自分に価値があると感じられることで周りから認められるような行動ができるようになる、そこに大きな意味があるのです。
生きることの難しさ
生存の努力
生きているだけで私たちは沢山の努力をしているんです。特に辛い状況に直面したとき、それでも生き続けることはとてつもない挑戦となります。
ヴィクトール・フランクルさんは強制収容所での壮絶な体験を通じて、どんなに過酷な状況でも、生きる意味を見つけることが大切だと教えてくれました。フランクルさんによれば人生に意味を見出すことができれば、どんな困難も乗り越えられるということなんです。
Kısa ve Öz: “Son günlerde, en çok sɑygı duyulɑn insɑnlɑrın, büyük sɑnɑtçılɑr, ünlü bilimciler, büyük devlet ɑdɑmlɑrı yɑ dɑ sporculɑr değil, yɑşɑdıklɑrı kötü kɑderin bɑşı dik efendisi olmɑyı bɑşɑrɑn insɑnlɑr olduğu ɑnlɑşılmɑktɑdır.” Viktor Emil Frank pic.twitter.com/XVzMvomCdl
— Tomorrow (@tomorrowetc) December 22, 2020
そう考えると、特に厳しい状況の中で生き抜くことは間違いなく誇れることだと言えますよね。でも、単に息をしているだけではなく、その中で意味を探し、前を向く姿勢を持ち続けることが大切なんです。
自ら命を絶ってしまう問題
命の価値について考えるとき、避けて通れないのが自ら命を断つという問題です。デイヴィッド・ヒュームさんは、自ら命を断つことが必ずしも悪いことではないという考えを示しました。耐えられないほどの苦しみがあるなら、それは一つの選択肢になり得るという考え方です。
そんな中、アルベール・カミュさんは『シーシュポスの神話』という作品の中で、人生は理不尽なものだけれど、だからこそそれに立ち向かって生きることに意味があると主張しています。カミュさんにとって、生きることそのものが一種の反抗であり、称賛に値する行為だったということなんです。
こうした議論からはただ生きているだけでは物足りなくて、何らかの形で人生と向き合う気持ちが大切だということが分かりますね。
生きることは時に大変で、理不尽なこともありますがそれでも前を向いて歩んでいく。そんな姿勢が私たちの人生を豊かにしてくれるのかもしれません。
生きることの責任
他者への影響
私たちが生きているだけで、周りの人に何らかの影響を与えずにはいられないものなんです。サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と言っているように、私たちには常に選択の自由があり、その選択に対して責任を持たなければいけません。
そう考えてみるとただ生きているだけでは足りないですよね。自分の生き方が他の人や社会にどんな影響を与えるのかをしっかり考える必要があります。
その人を評価するときも、行動や選択を見て判断するべきですよね。人生って、他の人との関わりの中で輝くものだと思うんです。
環境への責任
現代を生きる私たちにとって、個人の生活が環境に与える影響は見過ごすことができません。日々の暮らしが地球環境にかなりの負担をかけているんです。
ハイデガーは人間のことを「地球の守護者」と呼びました。つまり、生きているだけではなく、環境のことを考えながら生きることが大切だということですね。私たち一人一人が地球という大切な家を守る責任を持っているんです。
そういう視点から見ると環境に優しい生活を送ることこそが、称賛されるべきことかもしれません。単なる生存以上に、未来の世代のためにも持続可能な生き方を心がけることが求められています。私たちにできることは、小さなことからでも始めていけばいいんです。
生きることの可能性
成長と発展
人間には限りない可能性があっていくらでも成長できる存在なんです。アリストテレスは、人間らしい活動とは理性を使うことだと考えました。そして、徳のある生き方をすることで私たちの持つ理性の力が最大限に発揮されると述べています。
そう考えるとただ生きているだけでは物足りないですよね。自分自身を高めたり、良い人間になろうと努力したりすることが大切です。
称賛に値するのはそういった向上心を持ち続ける姿勢なのかもしれません。人生は学びの連続でそれこそが楽しみの一つだと私は思います。
創造性と貢献
人間には素晴らしい創造力があって世界に何か新しいものを残せる可能性を秘めています。フランクルは人生の意味を見つける方法として、3つの価値を提案しました。それは創造的価値、経験的価値、態度的価値というものです。
創造的価値というのは自分から世界に何かを与えることで得られる価値のことです。芸術作品を作ったり、新しい発見をしたりすることがこれにあたりますね。
経験的価値は世界から受け取るもので、愛や美しいものとの出会いなどが含まれます。態度的価値は変えられない状況に対してもポジティブな姿勢を保つことで見出せる価値なんです。
こう見てくるとやはり生きているだけでは足りないような気がしますね。こういった価値を追い求めて世界に何らかの形で貢献することが大切です。
称賛されるべきは、んな貢献をしようとする気持ちや行動なのだと思います。一人一人が持っている才能や可能性を活かして、世界をより良くしていく。そんな生き方ができたら素敵ですよね。
生きることの意味の探求
人生の意味を追究していく道のり
人生の意味を探求すること自体に価値があるという考え方が広まっているんです。ヴィクター・フランクルは人生の意味を探し求めることこそが、私たち人間の根本的な動機づけになっているという素敵な考えを残してくれました。
ステガーさんたちの研究によると人生の意味には「意味の存在」と「意味の探求」という2つの大切な側面があるんですよ。
「意味の存在」というのは自分の人生が意味に満ちていると感じられる度合いのことです。一方で、「意味の探求」はもっと深く人生の意味を理解しようと努力する度合いを表しているんです。
この研究では「意味の存在」を強く感じている人ほど、幸せな気持ちや生活への満足度が高くなる傾向が見られました。
一方で「意味の探求」については少し複雑な結果が出ています。「意味の存在」をあまり感じられていない場合には探求することでストレスを感じてしまうこともあるようです。
でも、「意味の存在」をしっかりと感じている人の場合は、さらなる探求が前向きな効果をもたらすことが分かってきました。
こう考えてみるとただ生きているだけじゃなくて、積極的に人生の意味を探し求め、理解を深めていく姿勢がとても大切だということが見えてきますね。私たちが本当に褒め称えるべきなのはそんな探求する気持ちなのかもしれません。
人生の意味はみんな違う
人生の意味って一人ひとり違って当たり前。そんな考え方も広がっているんです。ウォンさんの研究では人生の意味の主な源として達成、受容、関係性、親密さ、宗教、自己超越、公平さという7つの要素が挙げられています。
この研究から見えてきたのは人生の意味を探し求めることは決して独りぼっちの旅路ではないということ。周りの人々からのサポートや誰もが暮らしやすい社会があってこそ、意味を見つけられるんです。
つまり、個人の努力はもちろん大切なんですが周りの環境や社会のあり方も、人生の意味を見出すためにはかかせない要素なんですよ。
そう考えると、ただ個人として生きるだけじゃなくて、周りの人たちとの絆や社会とのつながりの中で、自分らしい意味を探していくことが大切だと分かりますよね。
私たちが本当に素晴らしいと思えるのはそんな多様な意味の源を認め、それを追い求めていく姿勢なのかもしれません。人生の意味って宝探しのような楽しさがありますよね。
まとめ
生きているだけで偉いのかという問いに対して、単純に「はい」とは言えないものの、生命には確かに尊い価値があることが分かりました。
より大切なのはただ存在するだけでなく、その生を通じて意味を見出し、自分らしい価値を創造していくことです。フランクルやサルトルが説くように人生の意味は与えられるものではなく、自分で見つけ出していくものなのです。
私たちの存在は必然的に他者や環境に影響を与えます。そのため、ただ生きているだけでなく、周囲との関係性の中でより良い影響を与えられる生き方を目指すことが大切です。
結論として、「生きているだけ」という表現は適切ではありません。なぜなら、生きること自体が既に多くの努力と意味を含んでおり、それぞれが自分なりの方法で人生の価値を見出して成長し続けているからです。
参考文献:
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